幸せに生きるということ

  1. 和眞嘉傳の心得

生きるということ。
この世の中に生を受け、生き続けることは、摩訶不思議なことです。

私たちは、一体何のために生まれてきて、死んでいくのでしょうか。

特に人間は、様々なルールや歴史、価値観、しがらみ、レッテルなどが付き纏い、『他人からの評価軸』を気にして、『自分を生きる』ということから遠ざけられてしまうような、複雑な環境の中に存在しています。

世の中には、”世間一般的な幸せ”像というものが存在しているようです。
良い学校を出て、良い就職先に就職して、結婚して、家族がいて、長生きして…
というようなものです。

少しだけ論って見るならば、果たして、事情があって長く生きられなかった命が、幸福じゃなかった、と言い切れるでしょうか。
長生きしたものの、自分も相手も受け入れることができず、ずっと苦しいまま、悩みを抱えたまま生きるのは幸せでしょうか。

おそらく、他人から見てその人が幸せなのかどうかなど、計り知れないことなのだと思います。
本人が、心底満足して「幸せ」と感じているのならば、それは「幸せ」なのでしょう。

「幸せに生きる」ということは、自分でしかその価値を見出すことはできません。
どれだけ他人が、「このように生きるのが幸せだ!」と言ったとしても、誰にとっての幸せでもなく、言ったその人だけの幸せでしかありません。
ただ、自分で満足できるように生きること、満足するためには道すがら、苦労もあるはずですが、きっとそれも満足を得るに違いありません。

今の世の中では、まだ、他の誰かの言う、『これが幸せ』と言う形が強いように感じています。
少しづつ、変化してきていると思いますが、『自分自身のオリジナルの幸せの価値観』を見出すことは、困難が多いかも知れません。

けれど、『自分の感じる幸せ』を追い求めている仲間が居ることが少しでも伝わりますように、と、文章を綴っています。

山口 麻理子

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