『民藝の歴史』に学ぶ ①

  1. 人の幸せ

東京に拠点を持っていたころ、銀座にある「たくみ工藝店」に時折足を運ぶことが楽しみの一つでした。

「たくみ」は、出店から70年以上の歴史を重ねているそうです。

店主の方が、訪れるお客さんとお店に並べられた品や歴史についてお話しているのを耳にしながら、また、私もお話させていただきながら見て回るのがとても楽しく感じていました。

個人や日本人の案内で訪れる外国人客も多く拝見しました。

「たくみ」に並ぶ品は、「手仕事」によって生み出されたものばかり。
1点1点表情が違います。
もう生産されていない品のため、並んでいる品でもう手に入れることができなくなる、というも少なくありませんでした。

また、職人さんも現在作っていらっしゃる方の後継者がおらず、その方が作らなくなってしまうと、もう手に入らなくなってしまう、という品も多くありました。

その「たくみ」で、『民藝の歴史』の単行本を見つけました。

1926(大正15)年、柳宗悦 氏・河井寛次郎 氏・浜田庄司 氏が中心となり、提唱された「民藝運動」。

工業化によって大量生産の安価な製品が生活に浸透していくことによって、失われて行く日本各地の「手仕事」の未来を案じ、近代化=西洋化といった安易な流れに警鐘を鳴らし、「物質的な豊かさだけでなく、より良い生活とは何か」を追求する運動でした。

「民藝運動」から100年近くの時が経ちます。

「たくみ」でカズラで編まれた籠を見ている時、
「このカズラは以前は職人さんに籠の素材として、採集されていましたが、今は職人さんも減り、採集されなくなったカズラが山を覆って木を枯らしてしまうこともあります」と話してくださいました。

和眞嘉傳株式会社の本店は、2020年末、東京から茨城県常陸太田市の旧里美村に移転しました。
和眞嘉傳株式会社では、SDGsを考慮した商品企画を行っていますが、そうした活動に加え、毎日の暮らしを通じて、人間も動物も暮らしやすい里山というものは、自然と人の生態系のバランスを保って存在していたと実感させられます。

少し前の日本人の暮らしは、身近な素材を利用して、生活に必要なものを作り出し、利用する。
壊れたら、身近な素材で修理して、それでも使えなくなってしまったら、燃料にし、その灰は洗剤に利用したり、最終的に土に還す。
そんな、シンプルだけれど、循環する自然な暮らしでした。

年柄年中、物に囲まれ、均一な品質が維持できる現在。
良質な木材などは冬の時期に採集するものである、ということも知らない人も少なくないでしょう。

現在は、1年を通して木材を採集します。
また、身近にある木製品の殆どは、品質を均一に一定化していくために、化学薬品を加えて加工されています…こうした技術は、私たちの暮らしを、確かに便利にしてくれました。

ですが、便利なこと=心を満たし、幸せにしてくれること ではないことに、多くの人が気付きつつあると感じています。

四季を感じて、春と夏には作物を育て、秋に収穫し、冬は木材や道具の素材を採集し来期に向けて準備をします。
寒い冬が過ぎ、土の凍りが溶け始めると、植物たちは、花を咲かせ大地を彩ります。

手間、時間をかけて手がけて生み出すもの、こと。
手間と時間がかかるということは、経済的には採算の取れないものになります。

ですが、「物質的な豊かさだけでなく、より良い生活とは何か」。
人間の「幸せの本質」は、根本的に変わらないようです。


『民藝の歴史』に学ぶ ② へ続きます。

『民藝の歴史』 (ちくま学芸文庫) 
志賀 直邦 (著)

関連記事

『民藝の歴史』に学ぶ ②

1926(大正15)年、柳宗悦 氏・河井寛次郎 氏・浜田庄司 氏が中心となり、提唱された「民藝運動」。現在では、『民藝』という言葉は広く知られていますが、柳宗悦…

  • 138 view

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。